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football life:きっかけは求人誌 7大会連続W杯の日本代表「キットスタッフ」 - 毎日新聞

練習用具を運ぶ麻生英雄さん=カタール・ドーハで2022年11月13日、宮武祐希撮影 拡大
練習用具を運ぶ麻生英雄さん=カタール・ドーハで2022年11月13日、宮武祐希撮影

 サッカーのワールドカップ(W杯)で日本が初出場した1998年フランス大会以降の7大会すべてで「ベンチ入り」を果たした人がいる。「キットスタッフ」の肩書で選手たちのユニホームなどを用意する麻生英雄さん(47)だ。日本代表の歴史の生き証人は、偶然見かけた求人雑誌がきっかけでサッカーの世界に飛び込んだ。

 神奈川県出身の麻生さんは高校卒業後、求人雑誌で横浜フリューゲルス(98年シーズン限りで消滅。現横浜F・マリノス)がアシスタントマネジャーを募集していることを知り、応募した。実はサッカーの経験がない。「Jリーグの存在は知っていたので、面白そうだなと思って応募したのが始まり」と明かす。

サッカー日本代表のキットスタッフとして選手の用具を管理する麻生英雄さん(左)=ⒸJFA 拡大
サッカー日本代表のキットスタッフとして選手の用具を管理する麻生英雄さん(左)=ⒸJFA

 横浜フの職員を経て、97年から日本代表スタッフに転身。ユニホームの洗濯から練習用具の準備、荷物運びまで、選手の先回りをしてサポートに当たる。試合当日はキックオフの3時間以上前にスタジアムに行き、選手それぞれに前後半計2枚のシャツと短パンをそろえ、スタッフ用のジャージーなども含めれば、計100枚以上を準備する。「チームスポーツはみんなで何かを作っていく。それが好きだし面白い」と事もなげに話す姿に、周囲の信頼は厚い。

 「勝っても負けても次の仕事があるので、切り替えをすごく大事にしている。試合後、特に選手は感情的になると思うので、僕らスタッフは冷静にふるまおうと意識している」と心掛ける。

 最初のW杯では、それまでチームをけん引してきた三浦知良さん(55)と北沢豪さん(54)の代表落選を目の当たりにした。事前合宿地のスイス・ニヨンのホテルを後にする北沢さんから「俺は帰るけど代表を頼むぞ」と託された。「何をしたらいいのかをちゃんと考えるタイミングになった。すごく記憶に残っている」と話す。

ゴールを運ぶサッカー日本代表のキットスタッフ、麻生英雄さん(中央)=ⒸJFA 拡大
ゴールを運ぶサッカー日本代表のキットスタッフ、麻生英雄さん(中央)=ⒸJFA

 2006年ドイツ大会は1次リーグ第3戦でブラジルに敗れて敗退が決まった。その試合後、ただ一人ピッチに寝転び、目に涙を浮かべた中田英寿さん(45)は試合から10日後に現役引退を表明するが、試合後のバスで隣に座った中田さんから「一区切りついた」と話しかけられた。その時は真意が分からなかったが、「それ(引退発表)を聞いて『あーっ』となりました。あの時の言葉ってこういう意味だったのかと」。

 今季限りで現役を引退した中村俊輔さん(44)とは98年の代表初招集以降、全体練習後のフリーキック練習でゴールキーパー役や「壁役」を務めることがあった。「テレビで見てもすごいけど、実際にゴールに立つと球のスピードはすごい。壁役もしましたが、怖かった。実際当たったことはないけど、当たったら痛いんだろうなと思った」と笑う。

 チームに寄り添い続けてきた麻生さんは「中毒性があるというか、やめられないですね」と話し、体調管理などは欠かさず「動けなくなったら、僕らは仕事にならないので」と万全の態勢を整えてきた。「チームが滞りなく、最高の練習試合ができるように準備を進めていきたい」。代表を支える仕事人は、柔和な笑みを浮かべながら、力強く話した。【木村敦彦】

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