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井上尚弥を育てた長寿番組 仕掛け人は求人広告を見てやってきた:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル

 まだ、バブル経済の残り香が漂っていたころ。

 1991年4月、民間の衛星放送局「WOWOW」の本格放送は始まった。ただし、その名前はなかなか広まらなかった。

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 先行したのは、キラーコンテンツのイメージだった。

 「『タイソンをやっている局か』と営業先でも、スポーツの現場でも、よく言われた」

 開局時からスポーツ番組プロデューサーを務めた大村和幸(62)は懐かしそうに振り返る。

 もともとテレビ東京で報道番組を担当していたが、スポーツ、特に格闘技が好きで、携わる仕事がしたいと思っていた。そんな中で目にとまったのがWOWOWの求人広告だった。すぐさま応募した。

 90年春に入社。その年の12月、「開局特番」として放送したのがプロボクシングのスーパースター、マイク・タイソンの試合だった。

 予想以上に話題となり、「タイソンをやっている局」と呼ばれるようになった。

 これはいけると思い、翌年の本格放送開始と同時に、海外のボクシングを放映する番組「エキサイトマッチ~世界プロボクシング」を始めた。

 当時、米国やメキシコでは、プロモーターによって中継する放送局が分かれていた。お目当ての試合を見るためには、複数のケーブルテレビ局と契約しなければならない、というような状況だった。

 オスカー・デラホーヤ、フロイド・メイウェザーマニー・パッキャオ……。

 タイソンの来日試合を成功させるなど、プロモーターとして名を響かせ始めていた帝拳ジムの本田明彦会長の力を借りながら、プロモーターが異なる世界的人気ボクサーの試合の放送権を獲得していった。

 「系列の垣根なく、世界中のボクシングを流せる番組は世界初だったんだ」。大村はそう胸を張る。

 ただ、この番組が日本ボクシング界に大きな影響を与えることになるとは、当時は考えもしなかった。

 番組では週1回2時間、海外…

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